プロフィール

はじめまして。
潜在意識カウンセラー 高橋ヒロです。

プロフィールをご覧くださりありがとうございます。

私は現在「潜在意識」を専門としたカウンセラーとして活動をしておりますが


私自身、恐れに支配されたアダルトチルドレン、
劣等感や自己否定、親の借金、原因不明の病、で苦しんできました。



そんな幼少期から30年以上苦しんできた私の悩みを解決してくれたのがカウンセリングでした。


こちらのプロフィールでは、

・私の乗り越えてきた経験
・人生を変えたカウンセリング経験

をお話ししております。
私の経験が少しでもあなたの心に寄り添えたり、お役に立てることができたら幸いです。


◼︎幼少期

2歳から始まった喘息との戦い

泣いても謝っても許してくれない。「恐怖」で全てを支配する父

◼︎学生時代

父の機嫌をとるために【自分を閉じ込め、自分を偽る】人生が始まる

「絶対に失敗するなよ。。。」 萎縮ばかりの学生時代

◼︎20代

「このままの自分ではいけない」「違う自分」になろうとした新社会人

心が躍動する感覚を得た自分を取り戻す小さな一歩

「逃げたらダメだ。。。」鼓舞して手に入れたのは嘘の自分

◼︎30代

父の急死。私一人に託された会社の負債。従業員に持逃げされた資金

さらに別の多額の借金に襲われる。真っ逆さまに落ちていった人生

心のストレスが体の病へ

誰にも会わない誰とも会話しない。極限で過ごした4年間

◼︎40代

「一つの行動」から全てが変わっていった

メンタルケアとの出会い

全ての点と点が繋がりカウンセラーの道へ



病弱へのコンプレックスは2歳に発症した喘息から始まりました。


体や精神に少しでも負担がかかると、直ぐ喘息の発作で呼吸が苦しくなり

急いで救急病院へ向かうことの多い幼少期でした。



 友達と同じようにと遊んでしまうと発作が起こってしまうため、
いつもみんなの輪から外れたところで一人遊びをするようになっていました。



世間からの評価ばかりを気にしていた父。
家の外では明るく優しい父を演じ
家の中では偽った自分を吐き出すかのように別人に豹変しました。



理由もなく怒鳴り、声を荒げ、恐怖で相手を押さえつけ

気に入らないことがあると暴力を振るう父。



いつもイライラの矛先となる私。
怒鳴られるだけでは終わらず



家の外にある小屋に鍵をかけて閉じ込められることも多々ありました。


「ごめんなさい、、、」
「ごめんなさい、、、」
「ごめんなさい、、、」



どれだけ泣いても、謝っても許してくれない。。。


父が仕事から帰ってくる時間になると
毎日ビクビクし、父の機嫌が悪くならないよう良い子供を演じていました。


本来は、無邪気で好奇心旺盛な少年だった私の性格は、



「とにかく父に怒られないこと」「父の機嫌を損ねないこと」をばかりを気にし

自分の感情を閉じ込めるようになっていきました。



父が求めていることは何か。
何をすると機嫌が悪くなるのか。
何がすることが正解なのか。



「親が求める息子」を演じるため、自分を閉じ込め、自分を偽り、自分を犠牲にし、

人の顔色ばかりを気にする人生が始まっていきました。




何をするにも「絶対に失敗するなよ。」が口癖の父。



行動の一つ一つが監視され、何をするにも父の目が光っていました。



「失敗したらまた父に怒られる。。。」



そう考えれば考えるほど体が硬直し、
やること全てを失敗し、
そんな私を見て激怒する父。

失敗するたびに怒鳴られ、
恐怖で体が固まり、
体も心も完全に萎縮していきました。



萎縮することが体の奥から染み込んでしまった私はどんな相手の顔色も気になってしまう癖がついてしまい、


誰にも本音を話さない、
誰にも近づかない、
自分にも近づかせないようになり、
いじめにあったり、クラスのなかでも孤立することが多くなっていきました。


いつしか「本当の私」は分厚い壁で完全に閉ざされていました。




自分を閉じ込め偽ってきた10代の日々を

記憶から消し去るように心の奥に閉じ込めていた私。



社会人になると、私の意識は自然と


「このままの自分ではいけない」
「このままの自分では価値がない」



と考えるようになり、仕事に没頭する日々を送っていきました。



成長への意欲は仕事だけではなく、自分の心を鍛えたい、価値ある人間になりたいと考え、
心理学やマネジメントやコーチングなどのスキルも積極的に学んでいきました。

熱量を持って取り組んだことで仕事でも結果を出し、
会社からの評価は上がり、困難な仕事や新規事業を任されるポジションとなり、


気がつくと、成長への意識よりも責任あるポジションとしての責務・使命感ばかりに意識がとらわれ

本来目指していた「心の成長」からどんどんかけ離れていってしまいました。



「このままでは仕事だけの人生になってしまう。。。」



仕事ばかりに追われ、人生への危機を感じた私は、



心に溜め込んでいた
「やりたい」を行動に移すと決意




「憧れていたバイクに乗って日本中を旅する!」、「踊り・ダンスをする!」

を行動に移しました。


この体験により人生で初めて「心が躍る」「心から躍動する」感覚を感じ、
人間が本来もつ「生きることの本質」のようなものを初めて感じることができました。



この経験が、後に本当の自分を取り戻す為の大きな鍵の一つとなりました。



これまで嬉しいことがあっても、悲しいことがあっても、感動することがあっても

一度も涙の流れることがなかった体から初めて涙が流れた時でした。




結果を出しても自信を持てない自分。

自信が持てないのは、自分に悪いところがあるから、自分には不足しているからと考えていました。



未熟なところがあるから、、、
努力が足りないから、、、
チャレンジが足りないから、、、
勉強が足りないから、、、



今の自分はダメな人間だから、足りないものを身につけなければダメ人間のままだと考え、

やりたくなことでも、納得できない方法でも、成長するにはそれが必要と言い聞かせ

心の声を無視して、自分ではない「何者」かへと化けようとしていました。



「逃げたらダメだ、、、」
「逃げたらダメだ、、、」
「逃げたらダメだ、、、」



そう自分を鼓舞して、忙しさで心を埋め、無理やり働いた結果手に入れたのは「嘘で固めた自分」でした。




突然の父の急死。


高校を卒業し、直ぐに地元を離れ生活していた私しにその連絡は突然きました。


涙はでませんでした。
感情も湧きませんでした。
心のどこかで、ほっとする気持ちさえ湧いてきました。
しかしそんな気持ちよりも厳しい現実が覆いかぶさるように襲ってきました。



父は脱サラをし、
会社を経営者になっていました。



私に残されたのは会社の負債でした。
会社の口座に残っていた資金は従業員に持ち逃げされていました。




熟年離婚した父の身内は私一人。




「どこまで父に苦しめられるのか。。。」



葬儀が終わると同時に借金の返済生活が始まりました。




追い打ちをかけるかのように、さらなる悲劇は突然やってきました。



仕事関係でトラブルに巻き込まれ
父の借金に加え、更に多額の借金を背負うことになってしまいました。




あまりにも突然の出来事にパニックで頭が真っ白になり、何が起こっているのかわからなくなりました。
異常なほど上がる心拍。



「なぜ私にはこんなにもどん底の出来事が起こってしまうのか、、、」




しかし考えている暇も悩んでいる暇もありませんでした。


返済の為、日中の仕事に加え深夜3時までアルバイトをする日々が始まりました。



体力も精神も全てが疲弊していき、人間関係もどんどん劣悪になっていき、
すべての物事が真っ逆さまにどん底へと転がり落ちていきました。


何気ない一言でも心が傷つき、苛立ち、次第に



「生きている意味がない」
「このまま生きても価値がない」




と、死について考える日々を送っていきました。
人間性がどんどん悪くなっていき、思考も感情もコントロールすることができず、下り坂を転がり落ちていきました。



自分でもわかるほど人格が歪んでいき、
心が黒くドロドロとした何かに支配されていくのを感じていました。



そんな中、体の上半身に原因不明の痛みが出始めます。

病院であらゆる検査をしても原因は不明。

最終的には明確な治療法が見つかっていない線維筋痛症と診断されました。



症状はどんどん悪化。
筋肉の痛みだけにとどまらず、胃、腸、腎臓、肝臓などにも痛みが発生し、慢性腎臓炎、慢性肝臓炎症、更には喘息の発作までも治らない状況にまで症状はどんどん悪化していきました。

大学病院や有名な病院、脊椎科、脳神経外科、整体、カイロプラクティック、針治療、電気治療、音叉治療、経絡治療、など、世の中にあるありとあらゆる治療を受けました。

有名な治療家、ゴットハンドがいると聞けばすぐに治療を受けに伺いました。
しかし、どんな方法の治療も体の痛みは治してくれませんでした。



「もう、何をやってもだめなのかな。。。」




出口の見えないトンネルを歩いているような日々が過ぎていきました。



あまりにも劣悪な状況に、
思考も感情も何もかもが停止していた私は


社会との関わりを絶ち、4年もの間、誰とも会わない、誰とも話さない状態となっていました。





4年もの間人と会話しない生活が続いた結果、口から言葉が出なくなるまでになっていました。




「助けを求めてもだれも助けてくれない」
「全ての問題は自分で解決するしかない」




幼少期からそう考えて生きてきた私ですが



この時は心の限界を超え
「誰か助けて。。。」と口から言葉が溢れていました。




ある日、何年も連絡を取っていなかった先輩から突然連絡がきました。
体調が良くないと伝えると先輩は「気分転換にちょっと出かけよう!」と私を外へ誘ってくれました。

湖のある大自然で1日を過ごした帰り道の車内で、何かがこみ上げてきた私は、



「今変わらないと、もう一生変われないかもしれない。。。」




と強く感じ、勇気を出して自分のどん底の経験を初めて他人に話しました。
全てを吐き出すと、ふわーっと体が軽くなったのを今でも覚えています。

この全てを吐き出したことをキッカケにこれまでとは違った歯車が動き出し、変化への出会いが訪れ始めます。



ある日、書店で偶然にも体の痛みと心の関係について書かれた本を目にします。



「体の不調と心は繋がっているの?」



一冊の本から「心理学」と「キネシオロジー」の可能性を知り、初めて心と体の関係性を知り、ここにかけてみたいと専門家を調べ尋ねました。
初めてメンタルメアは喜びと驚きの連続!



これまでの治療では感じることができなかった体の変化を初めて感じました。




メンタルケアを重ねるにつれ



体の痛みが「潜在意識」「感情」「脳」から発生していること、
幼少期のトラウマ、劣等感、自己否定が体の痛みに影響していたこと、
がわかり衝撃を受けました。



自分の心を守るために、
潜在意識の外側に壁を作り、
本当の自分に蓋をして我慢してきた人生。



その「閉じ込めてきた感情」が限界に達し、
痛みというわかりやすいメッセージをくれていたのでした。




本来の自分を取り戻していった私の環境はどんどん変化していきました。
私はごく自然と



「これまでの自分の経験を誰かの役に立てたい!」
「囚われた感情を解放できたら、誰もが自分らしく生きれる!」



という想いでカウンセラーを目指していました。


これまでは苦しいだけでしかなかった全ての経験は

カウンセラーの道を目指した瞬間、誰かのために役立てられる財産への変わっていたのです。



人生の点と点とが繋がり
宿命と運命が合わさり
経験と個性が融合した時
人生の本番がスタートする。

心の理を学問として紐解いた「心理学」
囚われた感情の特定と解放を可能とする「キネシオロジー」
命に宿った個性・エネルギーを知る「天文統計学」


これらを融合したオリジナルメソッドを開発した現在は、カウンセラーとして起業し、経験と個性を活かし、これまでの経験を活かし、自分の天命に向けて進む日々を過ごしています。